医療と薬に依存しない

医療と薬に依存しないように健康を自己努力で維持する事が大事です

私たちの国には、世界でも数少ない健康保険制度があります。
この健康保険制度があるおかげで、所得の少ない人でも気軽に医療機関を利用することが出来ているのです。

 

診察や治療に掛かった医療費の一部だけ患者が負担すれば済みますから、患者の経済的な負担が小さくなるいい制度だと思います。
ですがその一方で、この健康保険を支えている健康保険組合の運営は火の車状態なのです。

 

健康保険料は増えないにもかかわらず、医療費は年々右肩上がりに増え続てけてしまっています。
つまり一般の世帯で言えば、収入が増えないのに支出ばかりが増えてしまっているのと同じ状態です。

 

これでは健康保険組合の運営も徐々に難しくなってくると思います。
このまま医療費が右肩上がりに増え続けて行けば、何れ健康保険組合は破たんしかねないのです。

 

もし健康保険制度がなくなってしまえば、患者は医療費の全額を負担しなければいけなくなってしまいます。
それでは低所得者は気軽に医療機関を受診できなくなってしまいます。

 

そんな事になれば私たちの健康が脅かされてしまいますから、医療費の増加を抑えて、健康保険組合が破たんしないようにしなければいけないのです。
そのためには、私たち一人一人の考え方を改めなければいけないのです。

 

私たちは心のどこかで、健康を蔑ろにしてしまっている所があります。
病気になったとしても医療機関に行けば、お医者さんが薬などを用いて治してくれるから大丈夫と、思っている所があります。

 

この考えこそが、現在の医療費の増加を招いてしまっているのです。
自分の健康は人が守る物なのではなく、自分が守るべきものなのです。

 

病気になって困るのは自分自身なのですから、病気にならないように自身が健康を維持しなければいけないのです。
ですから健康な時こそ、その健康を失わないように努力をする必要があるのです。

 

基本的な事ですが、食事の栄養のバランスを整え、適度に運動をして、十分睡眠を取り、ストレスを溜めない生活を送る事が大事です。
国民の一人一人がこの生活を実行すれば、医療費は直ぐに減らすことが出来ます。

 

私たちの健康を守るために欠かせない健康保険組合の運営を破たんさせないためと私たち自身の健康を維持する為に、
今すぐに考えを改める事が必要です。

私は過呼吸症候群の発作に12年間悩まされました。
最初に過呼吸が起きたのは、営業のノルマが厳しくなってストレスが溜まっていた頃、母が認知症の周辺症状の一つである暴言癖を呈したショックからでした。

 

ただ、その当時は、それが過呼吸であると分からず、健康が害されているとは、気づきませんでした。
呼吸が速くなって苦しいので、なんとかその状態を止めようと、呼吸を止めてはしのいでいました。

 

過呼吸は、次第に頻繁に起こるようになり、1回の発作の時間も次第に長くなっていきました。
そうして、父も入退院を繰り返すようになりました。

 

ダブル介護で、両親の手術日が重なることさえあって、私は慢性的に不安を抱えるようになりました。
風邪をこじらせても、なかなか休息がとれず、私は喘息になりました。喘息の治療のために、定期的な受診が必要になりました。

 

その受診のための待ち時間中、両親のことを考えたとたん、激しい過呼吸が起きました。
そうして、私は最初の発作が起きた半年後に、自分が過呼吸症候群にかかっていたことを知りました。

 

喘息治療をしてくださっていた先生は、これは精神科の範疇だから、紹介状を書こうかと、おっしゃってくださいました。
しかし、精神科を受診していることが職場に知れたら、退職を迫られるので、内科専門のその先生に無理を言ってセルシンを処方していただくことにしました。

 

それから6年間が過ぎました。
発作が酷くなったらセルシンを飲むという生活、先の見えないダブル介護の生活、仕事がきつくなる職場。

 

私は遂に退職しました。その頃は、健康にも医療にも薬にも信がおけない日々でした。
転機は、母を認知症専門病院に連れて行った時に訪れました。

 

待合室で過呼吸を起こした私を見て、母の担当医が「娘さんは不安障害だから、自分の治療を受けるように」と仰ったのです。
半月ほどためらい、母の次の受診日に、その先生に私自身の治療もお願いすることにしました。

 

その先生は、私の話をじっくり聞いてくださり、適切なアドバイスをいつもしてくださるので、直ぐに先生への絶対的信頼の念が湧きました。
また、毎回、処方されるお薬についても、効果と副作用を丁寧に説明してくださるので、医療への信頼が芽生えてきました。

 

先生は毎回、私を肯定し、私の長所を指摘してくださいました。
私は、なかなか自己肯定ができませんでしたが、3年、4年と経つうちに、信頼する先生の仰ることなのだから、その通りなのだろうと、自分を信じられるようになってきました。

 

そう思えるようになるにつれて、過呼吸は起きなくなりました。
不安障害の治療を始めて7年間が経ちました。まだ、抗不安薬は飲んでいますが、過呼吸は全く起きません。

 

健康を取り戻してきたと実感しています。医師への信頼から自分を信じられるようになり、適切な薬を飲んで、健康を取り戻してきています!

私が病院へ通うことになったのは、ある日の家族の態度に今まで我慢や悩んでいたことが病気として現れてしまった事が原因でした。
半年以上の会話が無い生活、わけも分からず困惑していた状態でした。

 

何か不満があるのなら言葉にして伝えてと言っても何もないとばかりで、離婚も考えていました。その矢先です。
考えられない行動を取る家族にとうとう私の心は悲鳴を上げてしまいました。

 

喉の病院に行き問題ないといわれ、友人に婦人科を勧められ行って見ました。
更年期の症状の中にその症状がありました。何かのきっかけで表にでてくるらしいのです。

 

先生はまず、心が落ち着くための薬を処方してくれました。
しばらく薬を飲んで、症状が軽くなってきたので一安心でしたが、家族の問題が解決しないかぎりこの症状がなくなることは無いと思っていました。

 

心と体はつながっていて、健康な心は病気をも寄せ付けない、そんな気がしてなりません。
家族の態度が少し良くなって、多少の会話も出来、笑いも増えるようになると、次第に症状が軽くなっていきました。

 

しかし、薬は離せませんでした。いつまた心が揺れ動いてしまうかもしれないと言う不安は無くならなかったからです。
そんなとき、体調を崩しもとの症状に戻ってしまいました。更にもっとひどい状態にすすんでいってしまいました。

 

心が不安で不安で仕方なく何がと言うことではなく、すべてが不安なのです。
これは心の病気かもと先生に相談すると、更年期にもその症状があり、薬を処方してもらい生活習慣の指導もして貰いました。

 

朝太陽をしっかり浴びることはとても重要でした。セロトニンという脳内物質が心の安定をもたらします。
これで夜の睡眠もすみやかになるのです。人間は良い睡眠を取ることがとても大切で、日常の心の状態にも大きく影響を及ぼしていました。

 

私の場合、毎朝の太陽の光をたっぷり浴びることが良い睡眠をもたらしてくれました。そして、生きることを前向きに考えることができました。
いまでは、薬も不要で自分のやりたいこと探しをしています。

 

スポーツや趣味、美味しいものを食べること、友人と楽しいおしゃべりが未来の自分の夢を持たせてくれました。
健康とは心がよい状態であることがとても重要で、薬の効き目も違ってしまいます。この経験が私の健康で元気に暮らすための源になっています。

医療の中には、ホスピスと呼ばれる治療に対して全力を注ぐことよりも、なるべく患者が苦しまないよう最期を迎えさせてあげるという緩和ケアを目的とした施設があります。

 

本来、死を目の前にすればさまざまな苦しみや痛みを感じますが、それらを感じないようにするための治療、及び投薬をしていくのがホスピスです。
ホスピスで最期を迎えることは、安らかな最期になるということで、とても注目されている医療の1つです。

 

ただ、ホスピスに入所する際には、気をつけなければならない点いくつかあります。
それは、ホスピスは緩和ケアが目的であるため、前向きな治療はほとんどなされないということです。

 

そのことが、患者本人や家族に対して念入り確認されてから入ることになります。
患者が苦しまなければそれで良いと考えてしまいがちですが、治すための処置や投薬はしないということをよく考えて決めなければなりません。

 

こういったことは「やっぱりホスピスに行かなければよかった」あるいは家族が「行かせなければよかった」と、後悔やトラブルを生むケースがありますので、
決して安易な気持ちで決めてはいけないのです。
緩和ケアというのは、そういった一面を含むということを、患者はもちろんのこと周りにいる家族もしっかりと理解をしていなければならないのです。

 

また、それはホスピス以外の病院で働く医師についても同じで、ホスピスを勧める場合もあれば、そうではない場合もあるので、一概にホスピスが患者にとって最善策なのだと、世間の風潮に流されて決めてしまうことは良くないことです。

 

さらに、ホスピスには在宅ホスピスという選択肢もあります。
在宅ホスピスならば、生家など、自分が住み慣れた場所で最期を迎える可能性が高く、患者にとってはかなり心が安らぐ場所です。

 

ですから、もしも患者にとって一番心を落ち着けられる場所があるならば、在宅ホスピスという手段も医療の選択肢として入れてるべきです。
健康な状態ならばそんなことはまったく考えないかもしれませんが、誰でも最期を迎える瞬間はくるわけで、
そうなったとき自分がどういう選択をするのか、若い内からはっきりさせておくことが人生では大事です。

私は過呼吸症候群の発作に12年間悩まされました。
最初に過呼吸が起きたのは、営業のノルマが厳しくなってストレスが溜まっていた頃、母が認知症の周辺症状の一つである暴言癖を呈したショックからでした。

 

ただ、その当時は、それが過呼吸であると分からず、健康が害されているとは、気づきませんでした。
呼吸が速くなって苦しいので、なんとかその状態を止めようと、呼吸を止めてはしのいでいました。

 

過呼吸は、次第に頻繁に起こるようになり、1回の発作の時間も次第に長くなっていきました。
そうして、父も入退院を繰り返すようになりました。

 

ダブル介護で、両親の手術日が重なることさえあって、私は慢性的に不安を抱えるようになりました。
風邪をこじらせても、なかなか休息がとれず、私は喘息になりました。

 

喘息の治療のために、定期的な受診が必要になりました。
その受診のための待ち時間中、両親のことを考えたとたん、激しい過呼吸が起きました。

 

そうして、私は最初の発作が起きた半年後に、自分が過呼吸症候群にかかっていたことを知りました。
喘息治療をしてくださっていた先生は、これは精神科の範疇だから、紹介状を書こうかと、おっしゃってくださいました。

 

しかし、精神科を受診していることが職場に知れたら、退職を迫られるので、内科専門のその先生に無理を言ってセルシンを処方していただくことにしました。
それから6年間が過ぎました。発作が酷くなったらセルシンを飲むという生活、先の見えないダブル介護の生活、仕事がきつくなる職場。

 

私は遂に退職しました。その頃は、健康にも医療にも薬にも信がおけない日々でした。
転機は、母を認知症専門病院に連れて行った時に訪れました。

 

待合室で過呼吸を起こした私を見て、母の担当医が「娘さんは不安障害だから、自分の治療を受けるように」と仰ったのです。
半月ほどためらい、母の次の受診日に、その先生に私自身の治療もお願いすることにしました。

 

その先生は、私の話をじっくり聞いてくださり、適切なアドバイスをいつもしてくださるので、直ぐに先生への絶対的信頼の念が湧きました。
また、毎回、処方されるお薬についても、効果と副作用を丁寧に説明してくださるので、医療への信頼が芽生えてきました。

 

先生は毎回、私を肯定し、私の長所を指摘してくださいました。
私は、なかなか自己肯定ができませんでしたが、3年、4年と経つうちに、信頼する先生の仰ることなのだから、
その通りなのだろうと、自分を信じられるようになってきました。

 

そう思えるようになるにつれて、過呼吸は起きなくなりました。
不安障害の治療を始めて7年間が経ちました。

 

まだ、抗不安薬は飲んでいますが、過呼吸は全く起きません。健康を取り戻してきたと実感しています。
医師への信頼から自分を信じられるようになり、適切な薬を飲んで、健康を取り戻してきています!